蛍光ペンの交差点

"科学と技術に支えられ、夢を語る人になる"

時々休んで語らいながら、それでも遠くへ歩いていこう

自分の中には異なる2つの主義(principles、行動の指針)がある。長期間の存在を確認した。「なんでもいいから成果だけ手に入ればいい」(outcome goal) という主義と、それが崩れたときに現れる「積み上げてきたことを出し切って運命に委ねたい」(process goal) という主義である(参考)。

 

振り返れば、小中高、大学、大学院、どこにおいても、この2つを行ったり来たりしていたので、自己の中の可塑性が減っていくのを感じるいま、おそらくこの循環はこれから一生変わらないだろう。

 

両方とも役立つならば問題はないが、残念ながら前者は悪玉であり、寛解のような形で付き合っていくしかないと自覚している。前者の主義が引き起こしてきた惨事は数え切れない。高校時代の引退試合で、1年以上出していないような最悪のスコアを前半で叩き出したのは、ちょっとこの部分は力を抜いても、いやむしろ抜いたほうがうまくいく気がする、と、緊張で感覚と思考が狂った状態の中で、主義に自分を制御させてしまったことが主要因だ。

 

しかし、長く付き合っているのでそうしてしまった理由も分かる。自身が積み上げてきたことを信じ切れていないのだ。outcomeの最大化が、積み上げてきたことの本番と同じだと感じられない限り、後者のモードには入れない(だから一つ目の主義を「崩す」ことが重要だった)。心の中でうまく先に崩すことで、時間短縮を狙ったことは何百回とある。

 

友人や上司や指導者を尊敬する瞬間はたくさんあるが、そのうちの一つは彼ら彼女らが一つ一つを丁寧に積み上げて、それで何か形あるものを達成しようとすることだ。数学の証明はその典型で、あまりにも自明で一瞥の価値すらないと僕には思えたようないくつかの事実を、彼ら彼女らは軽く扱わない。そうして確率の問題だったり、計算理論の定理だったりを、「なんだか知らないが手に入った成果」ではなく、積み上げた一つの通過点として確認していく。語学や筋力トレーニングで黙々と実力を付けていくのもその一つだ。

 

積み上げたことを信じるのは難しい。真剣に考えているのならば、過去の欠点も明確に把握しているはずで、それでも信じられるとは、どういうことだろうか。練習中であれば、積み上げたことが(小さくとも)確かに強固で揺るぎなく、あとは大きくするだけ、と信じることはできそうだ。だが不足を感じながらなおも積み重ねを信じ、誇りに思えるとはどういうことなのか?というのが、ずっと腑に落ちていなかった。少し道中で怠けてしまったことが頭を過ぎったりはしないのか?とずっと気になっていた。

 

その確信の精神的支柱はむしろ、努力というよりは意志決定や問題解決の文脈で使われる考え方だ、と気づいた。自分で書いておきながら、その繋がりに半年以上気づかなかった。それほどまでに思想が固定化していたということなのだろう。何をどう用意したって失敗なんだ、成功が決定的にならないという狭義においては。でもだからといって信じない理由にはならない。

 

一度取った実績は紛れもない確かさがあって安心だろう。
でも本当の安心は、それで安泰だと思わないことにあった。

 

outcome goalは、多くの場合において機能不全で終結する。ゼロトゥワンでも否定されていたように、「ここまで達すれば人生安泰だ(set for life)」なんてラインは存在しない。東大までの人という表現もまた助詞が真実を抉っている。東大までで終わらないのならば、終わりはどこに設定されるのだろうか?一流会社に入ったとき?一生遊んで暮らせる富を築いたとき?定年したときだろうか?意見は分かれるだろうが、候補を出すうちに死は絶対的だと気付く。東大までの人は、死没までの人になる。私はもはや、いい大学に入っていい会社に入ることが、必ずしも悪いことだとは思わない。それは長いprocessの一部に過ぎない。

 

一方で、力みすぎなのだ、という自己認識を持つようになった。休息や自身の悪手に関する主義を、これまであまり考えてこなかった。友人と他愛のない話をすることが、どれほどの効用を持ってprocessを改善してくれているのか、認めるほど観察してこなかった。

 

開けた場所に新しく向かうときは、一年前の夏のように、期待と不安が入り交じる。この交錯した感情は、またずっとこれから変わらないだろう。しかしそれは悪いことではない。石化した成果にしがみついて留まることよりか、適度な期待と不安の中で動いているときのほうが、生きているように感じる。私は不器用だけど、時々休んで語らいながら、それでも遠くへ歩いていこう。

計算と走る

およそ基礎と言われる単元の学習を終えると、第二言語学習者は「英語学ぶのではない、英語学ぶのだ」などの助言を受けることが多い。この一文が興味深いのは、自然言語において日陰者と思われがちな助詞(particles)が主役となって、あらゆる学習者が十数年間の未来に渡って辿っていく出来事を的確に捉えているからだ。

 

さて、計算機科学者あるいは実務でコンピュータに携わるものはみな、計算走らせる・・・・・・・という言葉を使う。名前の通りcomputerはcomputationを行なうものだから、これは疑いを差し挟むことなく正統的な表現である。世界史においてここ数十年使われてきており、今後もそれは変わらないだろう。データの増大と計算コストの低下で、計算を走らせることはますます盛んになると誰もが予想している。

だがこれからは、計算走ることのほうが本質的になる・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

Googleが買収した英国の会社DeepMindが作成したプログラム AlphaGo が、2010年代前半における世界最強の囲碁棋士とも評されたイ・セドルを、4−1で破った。人工知能の歴史において、囲碁で機械がトップレベルの人間に勝つのは十年先のことだと思われていた。

 

この話については、とにかくドキュメンタリー映画 AlphaGo を見て欲しい。Youtubeでレンタルできる、あるいは買えるし、字幕も英語のみだがフルで出る。特に第1局から第4局におけるイ・セドル氏のあらゆる言動から、計算と走るとはどういうことなのかを目撃して頂けると思う。

 

少しのネタバレを覚悟で考察を共有すると、この映画において最も大事なのは、あるタスクにおいて地球上の何よりも強い存在が前触れもなく現れたとき、人類最強クラスの人間は何を考え何をするのか、その実例になっていることである。誰も解いたことのない問題を出せる存在が現れたときに、人は何をするのかとも一般化できる。

 

具体例を1つ述べる。第一局でイ・セドルは予想外の負けを喫した(彼は自分が5戦全勝すると見ていた)。彼は夜の間ずっと敗因を検討していたらしい。続く第二局において、AlphaGoはおよそ2016年のその場にいた全てのプロ棋士が悪手と評す、第37手を選択した。この手は、AlphaGoの計算によれば人間が打つ確率としては0.1%を切る。すなわちこの手は機械しか打てず、もちろんイ・セドルはこの手を人生で見たことがなかった。

 

解説者の誰もがこの手を批判する中、イ・セドルだけが異なる感想を持った。イ・セドルは他のプロによると独創的な手を打つ名手らしく、この手を悪手ではなく未開拓の戦略と受け取るだけの柔軟さがあった。

 

"I thought AlphaGo was based on probability calculation and it was merely a machine. But when I saw this move, I changed my mind. Surely AlphaGo is creative."

(拙訳:「最初は、アルファ碁は人間がこれまでに打った手の確率の中から、最も勝ちそうなものを機械的に選んでいるだけだ、と思っていた。でも第二局の第37手を見たとき、考えが変わった。間違いなくアルファ碁は、自分で新しい手を作っている。)

(Lee Sedol in Movie "AlphaGo")

 

目の前に現れた新奇な問題に対して、彼はあらゆる手を考えた。彼は計算と走っていた。12分を超える長考の末、次の手を打ち、やがて負けた。

 

この事例が示唆するのは、人間を超える精度の結果を計算が弾き出すことで、むしろ人間のほうが新しい計算を迫られる・・・・・・・・・・ということだ。人間は、端的に言えばアナログな計算機である。手に入った結果がこれまでとは異質なことで、全ての前提が変わり、人間は新しい最善手の計算を求められる。

 

そのような局面において、「(電子計算機上でのみ)計算を走らせる」という世界観、すなわちプログラムに相談してこちら側の最善手を決めてもらうということは、必ずしも最善手にはならないだろう。そのことを示したのは第4局なのだが、まあそれは見てのお楽しみということで…

文字と「跡」、あるいはデータと呼ばれるもの

文字は「今、ここ」を離れて行なう観察のゲーム・チェンジャーだった。そして今現代に起きていることはデータによる二次革命である。映画においては続編は前作より低評価になることが常だが、果たして技術においてはどうだろうか。

 

私たちは、文字で現象をほとんど理解したと思い込んでいた。たとえば兵士は戦地で死ぬものだと思っていた。だって兵士は戦闘によって致命傷を受け、兵舎では戦闘に備えて休息しているのだから、当然だろう。不衛生な病院内での感染症死亡者が戦地での即死より多いことを示したのは、たぶんナイチンゲールが初めてだった(思うに、彼女は砲弾が飛び交う戦争の最前線自体は見ていなかったはずだ。だからデータで比較しようとしたのだろう)。

 

文字は便利だ。イメージをひとたび構築すれば、理解したように感じられる。私が訪れたことのないアフリカの国でも、そこで働いていた友人の話を聞けば、なんとなくイメージを掴める。ただそれは近似、それも誤差保証なしの近似である。そして「誤差保証なし」と枕詞が付いたときのベスト・プラクティスは、複数の方法で相互の精度を監視し合うことである。

 

データを分析しはじめて、私たちは体表面に億単位で存在する微生物のような複雑怪奇な生態系が、データという「現象の痕跡」の中にも存在することに薄々気が付き始めた。私たちは自分たちの過去を文字と脳内写真の列として記憶している。本当にそれは正しいのだろうか。ナイチンゲールが見つけたあの隠れた真実に匹敵する価値ある知識は、私たちが記録せずに過ごした過去のどこかに隠れてやしないか。

 

ビッグデータ、IoT、AI、クラウドは、次のナイチンゲールを待っている。

泉に近いところへ:信号と感受性

「泉に近いところへ行きたい」という渇望を自覚したのは、オンラインの講義動画を丸ビルの喫茶店で視聴していたときだったと思う。東京が源泉になっているような現地組織に、あまり出会うことができていなかった。ましてや、自分が興味のある活動分野の源泉が東京にないことは、火を見るよりも明らかだった。

 

この世界では、全く異質なものが同一の装いをして現れる。だが観測を続けていくにつれ、違いは大きなものとして立ち現れてくる。大きいとは言っても、私たちが日々晒される情報の量に比べたら、FMラジオの音が一瞬途切れた程度の違和感しかもたらさないかもしれない。でもその違いに気付くことが最も重要で、その感受性が人生を(良い方向かは分からないが)変える。私にとってそれは、同じ大学の同じ学部で教える教授が、片方のグループはお粗末な、もう片方のグループは一流の講義を展開していたことだった。今風の言葉でいえば、彼らはつまるところ、k=2のガウス混合モデルだった。

 

この旅はまだ続くだろう。何を信号とみなすかは時によって変わる。離れることで、東京の価値もより深く理解できた。いずれ、目的を持ってあの街に戻る日が来るはずだ。

21世紀を生きてみて:生産性と仲良くする

 

歯磨きのような思考で述べたように、同じ話を何度も何度も何度も何度も何度も考えることには時に大切な意義がある。今回の話は、内容的には2年前に書いた專攻分野が決まらない高校生への計算機科学のすすめを一般化したものになる。

 

私はこれまで、多くの人にプログラミングを学ぶように語ってきた。それは、かつて中国の歴史書に登場する「塩」の時代変遷を追うだけで十年分の研究になったものが、今では位置の特定は十秒、全ての過程をこなしたとしても恐らく1年は超えないで、同質あるいはそれ以上の成果を出せてしまうだろう現代の魔法を身につけて、より効率の良いアプローチを採用してほしいと思っていたからだ(楽しいとか、そういう理由ではない)。

 

しかし幾つかの実社会組織で働いてみて、魔法らしきプログラミングの更に背後にあるのは、もっと大きな流れであることを強く自覚するようになった。

 

それは生産性改善の流れである。

 

 As Karl Marx and Friedrich Engels saw clearly, the 19th-century business class

    

     created more massive and more colossal productive forces than all preceding generations together. Subjection of Nature's forces to man, machinery, application of chemistry to industry and agriculture, steam-navigation, railways, electric telegraphs, clearing of whole continents for cultivation, canalisation of rivers, whole populations conjured out of the ground -- what earlier centry had even a presentiment that such productive forces slumbered in the lap of social labor?

 

(拙訳:カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスがはっきりと目撃していたように、19世紀の資本家階級は「全ての過去世代を総合したよりも遥かに莫大な生産性を創出した。自然力の支配、機械、工業や農業への化学の応用、蒸気船による航海、鉄道、電信、全大陸の耕地化、運河の開拓、大量の人口ーー労働者階級の中にそんな生産性が眠っていたなんて、どの過去世代も前兆すら感じることができなかった」)


(出典:『ゼロトゥワン』6章内で引用された『共産党宣言』の一節)


(注:ちなみに上の段落は6章で出て来るが、7章で出てくる指数関数の性質ーー「いちばん大きな地震は、それ以前の地震すべてを合わせたものよりも大きい」「いちばん大きなリターンはフェイスブックから来て、他の投資先全てを総合したよりも大きかった」というパターンの伏線になっている)

 

すごく乱暴に言えば、プログラマは資本家階級を模倣している。つまりコンピュータが労働者階級で、その労働者たちがmassiveでcolossalな生産性を持つように、プログラムという労働者たちにとっての「制度」を作り上げることで、「全ての過去世代を総合したよりも遥かに莫大な生産性」を創出することに成功した。シンギュラリティはその入れ子が3段になるだろうという予想で、まあプログラマとして働いてみた経験からするとほぼ間違いなくそれは実現しない。ただ、その入れ子構造は単に歴史の大きな趨勢の副産物に過ぎない。3段にならないことは、このトレンドにはほぼ影響しないだろう。

 

マルクスたちが100年以上前に書いた表現が、そのまま2017年の現代を表現できるのは偶然ではない。生産性のギネス記録更新はまだ終わっていない。21世紀の我々は、彼らが経験したプロセスの最中にまだ生きている。

 

 『ゼロトゥワン』の作者、ピーター・ティールはテクノロジーをdo more with lessを可能にするものと定義した。「労働者階級の中にそんな生産性が眠っていたなんて、どの過去世代も前兆すら感じることができなかった」とあるように、同じもの、あるいはそれより少ないものを使って過去以上の成果を出すことが根本的には生産性改善だろう。

 

ただ私が思う生産性との付き合い方は、もう少し庶民的な感覚に基づいたものである。

それは以下の2本立てからなる。

 

原則1.do more with less を志向する

原則2.安定性を味わう

 

プログラミングを学ぶとよい、という話は原則1に当てはまる。それに限らずイノベーションと呼ばれるものや発明と呼ばれるものはどれもここに入るだろう。特殊なチームを組んで、専門知識の組み合わせで良い製品を作るのもそうだ。

 

原則2は、もっと人間的な話である。足るを知る、という表現が多少近いが、すこし違う。それは逆説的に、do more with lessには役立ちそうにないものを、しかしdo more with lessするという禅問答のような話である。仕事場というより私的な場での意味合いが強いだろう。

 

生産性の指数関数的な伸びが存命中に終わるとは私には到底思えない。私たちの成果は次々に次世代によって更新され、過去の遺物となっていく。それはy軸を生産性で取ったときには喜ばしい結果ではあるかもしれないが、その更新が終わらないことを考えるとそうとも言えない。人間的な表現で言ってしまえば疲れるプロセスである。我々は常に圧勝しては惨敗していく日々をこれから送るのだ。しかも学ばなければ惨敗しかない日々になる可能性すら十分にある。

 

我々は変化していく世界のなかで、不易なものに価値を見出すことだろう。資本家階級であれ、労働者階級であれ、コンピュータであれ、不安定な状態では高い生産性の前提を長く満たさない。つまり、そういう戦い方もあるという話である。

学ぶことは楽しいことではない:学び続けるスキルとは何か

私は、一般に吹聴される「学ぶことは本来、楽しいことだ」という主張は誤っていると思っている。

 

たとえば英語を始めたとする。最初は英会話にせよニュース購読にせよ、新鮮な気持ちで読めるから楽しいと感じるだろう。だが活動がパターン化していく中で、あなたは違和感を持ち始める。ネイティブが自分にレッスンをしているときは聞き取れるのに、彼が別のネイティブと話しているのは全く理解できない、彼らの話している米国政治やらNFLやらの話題についていけない。気がつくと彼らf***ばかり言ってる。レッスンでは一度も使っていないのに。英字新聞を読もうとしたら英単語が難しすぎて2段落しか読めない。スクロールバーからすると、まだ9割以上残っている。米国政治について前提知識を付けようにも、彼らは入門書を知らない。彼らに説明してもらっても人名や事件名が多くて理解できない。辞書を引きながら読んでもハマる語義が見当たらない。仕事や家庭は忙しい。そのうちに、活動自体からフェードアウトしていき、以前の日常に戻っていく…

 

あるいは筋トレを始めたとする。最初はいや〜普段運動してないからきっついな〜とか笑いながら、それでも終わった後の爽やかな疲労や久しぶりの筋肉痛に前進を感じ、健康的な生活習慣に一歩踏み出した自分に対して悦に浸ることができるだろう。だが3−5回(1−2週間)やるうちに気持ちに変化が起きてくる。シューズを持ち運ぶのが面倒だ、普段持ちのバッグが小さくて気に入ってたのに変えないといけない、トレーニング中の辛さが想像できてウンザリする、今週は仕事が忙しくてもっと寝たい、なんで仕事で疲れて更に疲れなければいけないのか、成果が出るまでに少なくとも2−3ヶ月って長すぎでしょ、しかもほんの少しの変化だし…これを半年も一年も繰り返す訳???アルコールも控えろって?日々のストレスをナメてんの?と、生活改善の詳細に突き当たる…

 

様々な人の経験談を聴き自己体験を経る中で、私は、上述の標語はイデオロギーであり、教育機関の宣伝や自己啓発に使われるテンプレートに過ぎない、とみなすようになった。

 

私はむしろ、「学ぶことは本来、苦しいことだ」と思っている。人は、前提知識が揃っている段階で、適切な速度と場で提示された時しか記号に関する新規事項を理解できない。お膳立てをこれでもかと尽くされて初めて、ギリギリでエンターテインメントに分類できる(=楽しい)ものになる。身体知であれば、疲労(時に吐くことも)、故障(後遺症になることも)、停滞、動機、不正確な情報を制御しながらの、長い長い戦いになる。そう考えると、なぜゲーミフィケーションという考え方が流行ったのか、なぜ優れたプロジェクトマネジャーは概して新しい趣味を始めることに成功するのか(n=3)が自然に納得できる。すなわち、今流行りの「学び続けるスキル」とは、端的には以下の2つの混合を指すと思う。

  • ポジティブシンキング:苦しみに楽しみを混ぜ、学ぶこと自体の一次効用(first-order consequence)を高める、究極的には自己目的化させる
  • 問題解決スキル:苦しみの増幅器となる現実の困難(時間の確保、用具の整備)の弱体化、あるいは削除

 

そうして、私は学ぶことは本来、楽しいことだ」が指し示そうとしている現象を、「学ぶことは本来苦しいことだが、学び続けるスキルによってある程度まで楽しいものにできる」として理解している。スキルなので、個人差と熟練差がある。加えて、ポジティブシンキングで解決しているのか(傍から見たら辛いが本人は気にしていない)、問題解決スキルで解決しているのか(他人からも良い環境で行えているように認識される)にも違いが現れる。

 

 

さて、このように捉えることで何が変わるだろうか。
私は学習コミュニティの役割が変わると思っている。

 

学習コミュニティは、複数の学習者に同一の進度を課すシステムとしてこれまで機能していた。しかし今後ますます、個々人の進度のズレの差が開いていく、そしてもはや形骸化する段階まで来ると思われる。そのような状況になった場合、進度にそぐわない長い授業よりも進度を見極めて発した熟練者のたった一言のアドバイスのほうが有効に働き、実質上の学習システムとして働く可能性が高い。そうなった場合、学習コミュニティにおいて以下の3点が重要となる。

  • 大量の学習時間の強制(会社を辞めて2年間過ごすプログラムなど)
  • 個人では用意が難しい資材(論文アクセス、有識者との面会)の確保
  • 進度の異なる学習者間の交流

 

 

これらの3つは、どれも「学び続けるスキル」の涵養に役立つ。感覚論で言ってしまえば、勉強はとても辛い。私のような凡人はたった一人で辛いことを3年も5年も続けられるほど強くない。何らかの外力が必要であり、カリキュラムはその役割を果たす。多くの機関は情報リソースへのアクセス権を与え、時に触媒として非連続な変化を生み出す。

 

また、学んでいて問題があることは分かるが、解決策が分からないことは多い。そんなとき、分散システムは楽しいぞ〜計算機理論楽しいぞ〜みたいな、もはや上述のような定式化が後景に薄れ、純粋にエンターテイメントとして楽しんでいる人たち、あるいは逆に私より苦しんでいる人たちと関わると、どのような思考法で臨めばいいのか?どの問題を真っ先に取り除くべきか?私はどの問題を解決してきたのか?のヒントと動機を得ることができる。同じ授業で学んでも、全く別の問題を解く人たちも多い。彼らのツールの使い方から、自分のツールの使い方を見直すこともしばしばだ。

 

 

 

 

 

自信を失った時の癖

人生で群を抜いて不安だったときと言えば、浪人で予備校にフルタイムで通っていたときだろう。合格最低点に0.4点だけ足りず始まった浪人生活。次の失敗は、どのような理由があったとしても存在してはいけなかった。

 

授業を終えるとよくそのことが頭を過ぎった。そんなとき、自習室の席に座り、裏紙を取り出して、そこに10分間、

 

今日一日何を新しく知識として学んだか

 

を箇条書きで書き出すという作業を行なった。時間を測り、大抵は目を閉じていた。10から15思い出せるぐらいが平均で、30行くとこんなにもあったのかと自分でも驚いていい気分になった。この作業をすると、ああ自分は確かに昨日より前進している、という安堵感を得ることができた。覚えている限り、浪人中の一年間のほぼ毎日、この習慣を続けていた。高校生のときはそんなことはしていなかった。

 

面白かったことに、合格後にこの習慣を続けようとしても、全く上手くいかなかった。数年間で5回は試したと思う。どうにも続かないのだ。ただ、今日の試みは少し違う感触を得た。

 

今日は仕事で不安になるような出来事があった。ふと、これまでの自分を見返してみよう、という気分になり、紙とペンを取り出し(紙とペンは偉大な道具である)、過去1年間にあったポジティブな出来事を思い出しては、だいたいの時間軸に書き付けていくということをした。ネガティブな記憶が思い浮かぶと思考の方向を切り替え、別のポジティブなことを思い出すようにした。忘れかけていたような記憶が蘇ってくると、ああ、そういえばそんなことあったな…ああそういえばこんな人に会ってこういう話をしたんだ…と自分で自分の記憶に驚く瞬間もあった。

 

1日ではなく1年、知識ではなく記憶にしたにも関わらず、終わった後の感覚が、浪人時代のそれにとても似ていた。私には、これは大切な事実である。

 


さて、ブログを書いていると、自分に向けて書いているのか、それとも誰かに向けて書いているのかが曖昧になる瞬間というのがあって、それがとても心地よい。もう少し踏み込んで言うと、自己が自己に評価を与えている感覚を得る手段として私にとり最適のものが、一人で時間を取って書くということなのだと思い始めた。

 

必須な記述を選び取るという意志決定が、自分にとって有意義な記号群を集めた幸せな光景を可能にし、その濃度によって記憶力のない自分は初めて、自分の人生を生きてきたと実感できるのだろう。