蛍光ペンの交差点

"科学と技術に支えられ、夢を語る人になる"

推論機構と真実

自分の学部時代の経験において、ひとつ忘れられない出来事がある。

 

その日は所属学科の卒論発表会だった。発表者が準備を済ませ、発表時間になった段階でも、卒論審査役の一人の教授が場に現れない。

発表者の指導教授が電話すると、彼はまだ研究室に居た。電話越しにも、さほど急いでいる様子でないことが伝わってきたらしい。すぐに来るようにと促し、通話を終えたあと、その教授はこう言った。

 

「3時に自分が審査する卒論発表会があるとわかっていて、いまが3時だと言うこともわかっているのに、どうしてこの場に駆けつけないのか」

 

場は笑い声で湧いた。

 

発表会の帰り道、どうしてあの教授はわかっていたのに来なかったんだろうね、やっぱり変な教授だね、と友人に話しかけると、元は数学科志望だった彼は次のような意見を述べた。

 

「たぶん、推論機構が働かなかったんだと思う。彼の中で、それらの2つの事象から導き出される【一刻も早く審査会場に向かわなければならない】という事実に、辿りつけなかったんじゃないかな、彼の頭の使い方が、変わりすぎていて」

 

 

それは、とても納得の行く説明だった。


推論機構。人の頭のなかの、結論や事実を推論するためのメカニズム。

 

考えてみれば、いくら前提となる情報が大量に手に入ったところで、結論を導き出す最後の動力となる「頭のなかの推論機構」が働かなければ結論には至れない。情報を入手する問題と、その情報から結論を導き出す問題は、別個の能力に依存している問題だ。

 

あの教授は単にクレイジーだけれど、実際僕らの世界認識も、情報は持っているのにけっこう「推論機構の行き詰まり」で良い結論に至れていないものがあるのではないかと思う、ピーター・ティールはそれを「隠れた真実 Secrets」と呼んだけれど、それは情報が隠れているというより、結論が認知の壁によって隠されていると言ったほうが良い。

 

どうすればその壁を敗れるだろうか…と考えてみると、単に深く考えてみよう以上のことが思い浮かばないのだが。

 

とりあえず、そういう類の問題が、現在の情報氾濫社会には溢れている。

 

 

ちなみにその卒論生は、その遅れてきた教授の的確な質問によりかなり致命的な誤謬が見つかり、3〜4人の審査員の間で喧々諤々の議論が巻き起こるほど炎上して大変なことになった。