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蛍光ペンの交差点[別館]

"どの点に関心をもつべきか ―をわれわれが学びとるのは,もっぱら仮説からだけである"

正論とプロセス

まさにその職務に最適としか思えない人が、正論を展開する様子を見ていた。

 

正論を展開する。

正論を展開する。

正論を展開する。

 

…。

 

おかしい。終わらない。

 

言及されていることは、あとで別の情報源から確認したところ恐らくどれも真実で、解決すべき課題であることは間違いない。

 

ただ、そこに全面的には協力する気が起きないのは何故だろう、
価値があることだと思うのに、どうして僕にはそれを遂行する気が起きないのだろう、
とその正論を聞きながらずっと考えていた。

 

たとえば「世界平和は良いことだ」という命題を考える。

正論である。

 

ただ、ではこれを実現するために協力して下さい、と言われたとき、人はどう行動するだろうか。私財を投げ打って活動に身を捧げる?年収の十数パーセントを寄附することにする?非正規雇用が4割を超える時代に?数ヶ月に一度開催される活動に参加する?「僕は、土日もクライアントから連絡が来ることがあるので、参加が難しいのですが…」それだったら公式Webサイトに協賛していると写真を載せてもらう?会社の関係で難しい、なるほど。ならば署名活動に協力する?世界平和の達成まで、どれくらい遠くなっただろうか?

 

近かったものが遠くなったわけではない。
もとから遠いものが、より正しく見積もれるようになっただけのことだ。

 

 

利害関係というと、人は真っ向から対立する二者を考える。でもそれとは別に問題になるのは、それらの片方に共感できるけれど、何かのこまかな、ある種の利己的な利害が対立していて動けない人達なのだ。飲み会だから別の話もしたい、イベントの時期だからその打合せが必要、他にミッションを持って仲間を探している段階だから耳に入らない、そういう人達を説得しなければならないのだ。

 

自分にだって展開したい正論はある。
ただ、その正しさよりもプロセスが気にかかるようになった。