蛍光ペンの交差点[別館]

"どの点に関心をもつべきか ―をわれわれが学びとるのは,もっぱら仮説からだけである"

自動販売機と同調圧力

日本とアメリカは大きく異なる点がいくつかあるが、今日はその中でも一見ささいな、しかし象徴的な点を取り上げてみたい。

 

それは自動販売機である。

 

日本における自動販売機は、当たり前のことだが全てきちんと合理的に動く。

 

アメリカの自動販売機はそうではない。

全体の自動販売機のうち、ごく1割ほどが合理的に動く。

 

たとえば、1ドルの清涼飲料缶を買うことを考えてみる。

 

小銭がないからと20ドル札を入れて1ドルの商品を買うと、5ドル紙幣3枚と1ドル硬貨4つを返すそこそこ合理的な自動販売機もあれば、全て1ドル硬貨で返す自動販売機もある(紙幣がないわけではなく、紙幣で返す機能がない)。19個の硬貨がカチャン、カチャン、カチャン、カチャン…と釣り銭入れに溜まっていく様子を最初に見たときは衝撃的だった。

 

19ドルぶんの硬貨はそれだけで財布が超パンパンになるが、それでも20ドル札を使えるだけ有難くて、そもそも大抵の自販機は1ドル紙幣か5ドル紙幣しか受け付けない。20ドル紙幣しかない場合は、友達に両替してもらうか、近くの20ドル紙幣を受け付ける自販機で少額を消費して崩すしかない。

 

そして、都合よく1ドル硬貨を持っていて、きちんと投入したからと言って気を抜いてはいけない。僕のこれまでの経験上、自販機は4%ほどの確率で壊れている

 

壊れ方も一様ではなくて、商品を取り出すアームが正常に作動しないもの(VENDING ERRORと表示され返金される)、入れたコインが認識されずそのまま釣り銭として返却されてしまうもの、釣り銭として返却されないのにカウントされないもの(修理業者に連絡してrefundを請求するしかない)、

 

そして極めつけは、商品を支えるアームが動き出して、商品が取り出し口に向かって落ちていく、その局面に達してもまだ安心してはいけない。

 

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私はこの短い滞在期間に、これをそれぞれ別の自販機で2回目撃したのだ。

(商品が、アクリルとプラスチックフレームの隙間に挟まってそれ以上落ちてこない)

 

 

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さて、この自動販売機の話は、これだけで判断すると、まるでアメリカの製造業を批判しているように聞こえるかもしれないが、私の本意はそこではない。自販機の統合テストすらきちんとできんのかアホかと言うのは簡単だが、これはむしろ文化的な現象と捉えたほうが大枠が見えてくる、と思う。

 

なぜなら、自動販売機に限らず、こっちはなんでも壊れているのだ。ジムのシャワーは3分の1は水が出ない。トイレを流すスイッチは不定期に動作不良を起こす(なので、こちらに来てから入ったあとに流れるか確認する癖が付いた)。路上のトラックでホットコーヒーとパンを頼むと、パンだけ提供されることもしょっちゅうだ。電車は急に「ごめん今日は休むわ」とかで動かない。

 

これは技術的な統合テストの話ではない。もっと深いところに根ざす現象だ。

 

話は変わって、友人2人(留学で来た中国人と、ずっとこっちに住んでいる中国系アメリカ人)と昼食を囲んでいる時に、中国人が「自分はこんど子を授かるが、こちらの学生たちはほんとうにみんなユニークに見える。どうやって子どもをユニークに育てているのだ?」とアメリカ人に質問していた。アジア人の両親に厳しく育てられた彼女は、

 

「いや、ユニークに育てているとかなくて、単にアジアと違って同じにしようとしないだけだよ」

 

と答えていた。その答えに彼は大変納得したようであり、僕の中でも個性豊かな自動販売と繋がるものがあった。

 

 

自動販売機がそれだけ多彩なカスタマー・エクスペリエンスを提供している状況にあっても、どうして日本のように全て合理的に動く段階には移行しないのか。

 

それは、こちらの人はみな「同じでない」ことに慣れているから、「同じようには動かない」ことが普通だと思っており、そこにわざわざ改善が必要だと思わないからである。

 

もちろん彼ら彼女らも、自分の金が吸い込まれてしかもモノが買えないとなればクレームを付ける。ただし、19ドルの硬貨を返す自販機に文句をつけるかというと、たぶん付けない人のほうが多い。僕が予想するに「えっ、だって全額返ってきたじゃん、何が問題なの」とキョトンとされるのが山だろう。「えーっ、そんな細かいこと気にするの、へー面白いね」ぐらいのコメントが返ってくるかもしれない。

 

彼らは学生のプログラムが謎の中間メッセージを出力しても気にせず採点するし、細かく聴くと3から10ぐらいの特殊ケースを扱っていても、「全部問題なく終わったよ」と一言だけ言って終わったりする。

 

彼らにとっては、何もかもが異質であることが当たり前で、それが自動販売機であろうが、他人であろうが、プログラムであろうが、キャリアであろうが、食事であろうが、異質であることが同一なのだ。

 

 

この成功例が個性豊かかつ優秀なトップスクールの学部生たちであり、失敗例(日本人からすると、か?)が自動販売機である。

 

ちなみに副作用として…僕は未だに英語がまともに話せない&聞き取れない(何度も聞き返す)ので、友人と気軽に話している際ですら大変心苦しいと思っていたのだが、彼ら彼女らの様子を見ているにたぶん英語が得意とか不得意とか、気にしていない(どちらも真剣に聞いている)。彼ら、彼女らにとっては自動販売機が返す19ドル分の硬貨みたいな程度の不快感に過ぎないのだろう。ここらへんは人間的な深さであるなあと友人たちを見て思う。