蛍光ペンの交差点[別館]

"どの点に関心をもつべきか ―をわれわれが学びとるのは,もっぱら仮説からだけである"

意志決定、正解、学習

Facebookの創設者による母校でのスピーチを読み、映像を見た。日本語訳はこちら

 

平易な言葉で語られているが、ティールと一緒でかなりコンテキストなスピーチであり、また読み返したいと思う。

 

その中でひとつ印象に残る一節があった。

 

It's good to be idealistic. But be prepared to be misunderstood. Anyone working on a big vision will get called crazy, even if you end up right. Anyone working on a complex problem will get blamed for not fully understanding the challenge, even though it's impossible to know everything upfront. Anyone taking initiative will get criticized for moving too fast, because there's always someone who wants to slow you down.

In our society, we often don't do big things because we're so afraid of making mistakes that we ignore all the things wrong today if we do nothing. The reality is, anything we do will have issues in the future. But that can't keep us from starting.

 

(拙訳:高い理想を掲げることはよいことだ。でも、他の人にはその理想は理解されないと覚悟していてくれ。他人は、大きな構想を抱いて何かに取り組む人のことを「狂っている」と評価する。たとえ最後に君のほうが正しかったと判明する場合でもだ。複雑な問題に取り組めば「問題全体を理解してもいないくせに」と批判される。たとえすべてを事前に知っているなんて到底不可能であってもだ。率先して何かを行えば早急に過ぎると批判される。いつも誰か、あなたの歩みを遅めようとする人がいるからだ。

 

私たちの社会では、たいてい誰も大きなことに取り組まない。失敗を犯すのが怖すぎて、何もしない。今の制度が何か間違っていると分かっているのに、無視をしようとする。本当のことを教えてあげよう。何をしても失敗なんだ、未来に何か課題を残すという意味においては。だけど、だからといって始めないわけにはいかない。

 

 

 

僕は、なぜか知らないが、高校あたりからやたらと失敗を恐れるようになった気がする。まず先生や指導者、助言者、保護者、有識者の意見を聞き、それらから外れることを極端に怖がっている。それは、彼らが正しく、僕が間違いうるという、そういう図式で余りにも長く学びすぎたからなのかもしれない。もしくは、aloneであるから、怖いというそれだけなのかもしれない。たとえ自分の方が正しいような気がしても、怖くて有識者の勧めを選んだという経験が思い当たる(それが上手くいってしまったりするから更に難しい)。

 

そして、不確実な複数の選択肢から1つを選ぶことを、極端に嫌っている。だから「確実」でたった1つしかないように見える、「現状維持」を続けようとする。選択肢から1つを選んだ場合でも、選ばなかった選択肢の気づかなかったメリットや後から追加されたメリットを聞くたびに、心臓が跳ね上がる。頼むからこれが正解であってくれ、と願う自分をそこに発見する。

 

 

未来になってしか確定しないことは多い。自分が予約しようか迷っている2つのレストランのうちどちらが数日後まで残っているかなんて、いくら調べても分からない。どの事象も確率分布する。レストランじゃなくて転職先でもいい。転勤先でもいい。「君が選んだのは正解じゃなかった」と証拠付きで主張するのは、とんでもなく簡単なタスクだ。だってどれも、課題を残さないという点では正解じゃない。転職先Aでは人間関係が問題になり、Bではキャリアパスが問題になり…そういうことが怖くて、いつまでも調べ続ける。でも実際にはもう分かっているのだ。調査では未来は確定しないことを。ただ、可能性の大小を不確実に狭めて、実利益の代わりに期待利益を上げているだけである。期待利益なので、事後リターンも期待値として計算するのが合理的だろう。1つ2つダメな結果に繋がったぐらいでは実は問題は起きていない。人生において学習とは、各問題領域(育児、家事、職業)におけるその時間効率と、「打ち切り」の上手さを鍛えることも含まれていることに気づいたのは、いつだっただろうか。

 

期待利益で判断し、事後期待利益で自分の判断を評価するのは、とても大事な思考の癖のように僕には思える。どの選択肢も結果の課題量がゼロでないという意味で正解のない世界で、我々は数量化できないものを意志決定していく。