蛍光ペンの交差点[別館]

"どの点に関心をもつべきか ―をわれわれが学びとるのは,もっぱら仮説からだけである"

自信を失った時の癖

人生で群を抜いて不安だったときと言えば、浪人で予備校にフルタイムで通っていたときだろう。合格最低点に0.4点だけ足りず始まった浪人生活。次の失敗は、どのような理由があったとしても存在してはいけなかった。

 

授業を終えるとよくそのことが頭を過ぎった。そんなとき、自習室の席に座り、裏紙を取り出して、そこに10分間、

 

今日一日何を新しく知識として学んだか

 

を箇条書きで書き出すという作業を行なった。時間を測り、大抵は目を閉じていた。10から15思い出せるぐらいが平均で、30行くとこんなにもあったのかと自分でも驚いていい気分になった。この作業をすると、ああ自分は確かに昨日より前進している、という安堵感を得ることができた。覚えている限り、浪人中の一年間のほぼ毎日、この習慣を続けていた。高校生のときはそんなことはしていなかった。

 

面白かったことに、合格後にこの習慣を続けようとしても、全く上手くいかなかった。数年間で5回は試したと思う。どうにも続かないのだ。ただ、今日の試みは少し違う感触を得た。

 

今日は仕事で不安になるような出来事があった。ふと、これまでの自分を見返してみよう、という気分になり、紙とペンを取り出し(紙とペンは偉大な道具である)、過去1年間にあったポジティブな出来事を思い出しては、だいたいの時間軸に書き付けていくということをした。ネガティブな記憶が思い浮かぶと思考の方向を切り替え、別のポジティブなことを思い出すようにした。忘れかけていたような記憶が蘇ってくると、ああ、そういえばそんなことあったな…ああそういえばこんな人に会ってこういう話をしたんだ…と自分で自分の記憶に驚く瞬間もあった。

 

1日ではなく1年、知識ではなく記憶にしたにも関わらず、終わった後の感覚が、浪人時代のそれにとても似ていた。私には、これは大切な事実である。

 


さて、ブログを書いていると、自分に向けて書いているのか、それとも誰かに向けて書いているのかが曖昧になる瞬間というのがあって、それがとても心地よい。もう少し踏み込んで言うと、自己が自己に評価を与えている感覚を得る手段として私にとり最適のものが、一人で時間を取って書くということなのだと思い始めた。

 

必須な記述を選び取るという意志決定が、自分にとって有意義な記号群を集めた幸せな光景を可能にし、その濃度によって記憶力のない自分は初めて、自分の人生を生きてきたと実感できるのだろう。