蛍光ペンの交差点[別館]

"どの点に関心をもつべきか ―をわれわれが学びとるのは,もっぱら仮説からだけである"

泉に近いところへ:信号と感受性

「泉に近いところへ行きたい」という自己の深層からの欲求を自覚したのは、オンラインの講義動画を丸ビルの日当たりの良い喫茶店で視聴していたときだったと思う。東京が源泉になっているような現地組織に、あまり出会うことができていなかった。ましてや、自分が興味のある活動分野の源泉が東京にないことは、火を見るよりも明らかだった。

 

私たちは普段、全く異質なものが同一の装いをして現れる世界に住んでいる。でも同じように見えるといっても、観測を続けていくにつれて違いが見えてくる。その違いは、大きいとは言っても、私たちが日々晒される情報の量に比べたら、FMラジオの音が一瞬途切れた程度の違和感しかもたらさないかもしれない。でもその違いに気付くことが最も重要で、その感受性が人生を(良い方向かは分からないが)変える。私にとってそれは、同じ大学の同じ学部の教授が、片方のグループはお粗末な、もう片方のグループは一流の講義を展開していたことだった。今風の言葉でいえば、彼らはつまるところ、k=2のガウス混合モデルだった。

 

この旅はまだ続くだろう。何を信号とみなすかは時によって変わる。離れることで、東京の価値もより深く理解できた。いずれ、目的を持ってあの街に戻る日が来るはずだ。