蛍光ペンの交差点

"科学と技術に支えられ、夢を語る人になる"

Power Lawと明確な楽観主義、あるいは「成功」の考察

Paypal共同創業者の一人、ピーター・ティールによるビジネス書『ゼロトゥワン』の中では、第6章で「テクノロジーに対する明確な楽観主義」、第7章で「ビジネスにおけるべき乗則Power Law)」が扱われる。

 

明確な楽観主義は、「思い描いた未来を築けば成り立つ」。

およそ富に関わる多くの現象は、正規分布ではなく「指数関数的成長」をする。

 

2つを総合すると、以下の信念になる。

「未来を変え、指数関数的成長をすることになるプロダクトを探せ」。

 

これは、起業にも、スタートアップへの就職にも、職業選択にも、

所属するコミュニティの選択にも、使用する道具の決定にも通底する第一法則だ。

 

「当たり前」だろうか?帰納的に導いた経験則はどれもそうだ。あるていど経験を積んだ人は、常識を「当たり前すぎるから」という理由で否定するようになる。だが本当に大事なのは、当たり前のように思える常識の束から、9割の虚構(実現していない現実)と、1割の真実を選り分けることだ

 

ここで関連する虚構はなんだろうか?

僕は以下の様なものを考えている。

 

  1. 直近の伸びがすごいプロダクトは消費者のニーズに沿っている。
  2. 未来は不確かで、いつ起こるかを定められないという意味において「ランダム」で、制御できない。

 

どちらも「いかにも尤もらしそう」な常識だ。でも、帰納的な言説はいつも、再帰的に誤りを含んでいる。

 

1. について

 短期スパンでの変動と、長期スパンでの変動は挙動が異なる。べき乗という、積を何度も繰り返す演算は、積自体が加法を何度も繰り返している演算であることを考えると、常に加速していく。

 

加法と乗法の違いは頻繁に強調される。

乗法とべき乗の違いが強調されないのはなぜだろう?

そこにも多分、隠れた真実が存在している。

 

 

2.について

 

「いつ起こるかを定められない」ランダムという概念は、活字上で有効なだけでなく、本当に現実世界に存在する疑いのない事実だ。投げられたサイコロはいつ1が出るか断言ができない。少年ジャンプの懸賞に応募していつ27型液晶テレビが当選するかは断言ができない。後者はそもそも当選と落選の確率すら分からず、不確かさしか感じられない。

 

サイコロの次の目すら決められないのに、どうしてプロダクトが成功するなんて確信できるのだろう?

 

 

「一つの事象が100%」起きることでしか安心できない人生は、深刻な行動制限を生む。

 

 

なぜなら0 to 1の人生とは、

起きなかった成功を0回以上経由して、成功することだからだ。

 

 

「いつか起きる」ことをできるだけ手元に持ってくる、
形式的には、起きなかったn回の成功のnを減らす、

それがランダムな事象についてデザインが行なっていることだ。

 

 

僕らはいつまで、
「99%の成功と1%の失敗」と
「等確率1/6のサイコロ」を
「ランダム(次が予測できない)だ」
あるいは「運だ」という言葉で
同一視し続けるのだろうか?

 

 

その認知は数理的には間違いではない。

ただ行動原則としては大間違いだ。

 

 

明確な楽観主義は、

高い確率を持つ成功事象

高い確率に持っていける成功事象を、

「(0回以上の失敗のあとに)決定的に起こる成功された未来」として扱う、という思考バイアスの形式を言う。

(成功が失敗になると、明確な悲観主義になる)

 

そしてその成功が、底がいくつのべき乗であるのか、

つまりどれほどの早さで成長するプロダクトなのかは、

観測データが0なので未だ誰も知らない。

airbnbとUberの成功はそれを示唆している。