蛍光ペンの交差点[別館]

"科学と技術に支えられ、夢を語る人になる"

「生存の質」の危機の中で、登場人物になる個人

東京大学は、未だに世界でも有数の研究機関であるとも言えるし、数十年前は考えられなかったぐらい世俗化して堕落した娯楽機関であるとも言える。2つの現象は同時に起こっており、「東京大学」という固有名詞一つでの評判分析はほぼ不可能である。東京大学に限らない。かつて社会の確固たる前提としてそびえていた組織が、いまでは文化祭のハリボテ背景のように見えてくることもある。設計に関し大した議論や狙いがあったわけではなく、ただ単にそこにあるだけで、なにかいいものが出てきたら壊されてしまってもおかしくはないのだ。

 

長期的な将来予測はいつも難しいが、今後ますます目につくことを一つ予想するなら、権威の崩壊だと思う。東芝、医学部、省庁、今まで外部者には堅固な、何事においても存在が前提とされていた組織体が影響力を限定的にしていく。崩壊という言葉があまりにも強すぎるのならば、以下の3つをその内容として説明してもよい。

  • 一貫性の欠如:組織や個人におけるブランディングが一筋縄には行かなくなり、必ず理念と相反する事例が見つかる(服飾ブランド。技術企業。入試問題)
  • 一流性の欠如:性能において世界一とされていたものが、分野外からの参戦により格下になる(将棋や囲碁ひいては科学的な数理最適問題。既存の一流企業や教育組織。米国と中国の関係)
  • 内外区分の欠如;生存の質の危機から、組織内外を問わず個人間での「遠くをつなげる」ネットワークの価値が高まる

 

一方で、権威なしでは生活基盤は保たないことも事実である。採用に1万人の応募があったとして、時間制約からどこか凄そうなコンテストの受賞歴を参考にせざるをえないことはあるだろう。組織の卒業生間の関わりから活動が進むこともある。家族との兼ね合いから安定した会社員生活を取らざるをえない家庭もあるだろう。

 

そのような世の中では多くの人は常に先を考えることを迫られる。それは生存の危機だからだ。

 

いやもっと突っ込んで理解すれば、それは生存の質の危機だからだ。

 

世界には生存の危機が毎日のように襲ってくる地域がいくつもある。今日の昼に食べるものを確保できるか毎日心配しなければいけないところや、銃撃がいつ起きても不思議ではないところというものがある。それらと比べたら、権威の崩壊による問題は、遙かに多くの前提が変わらないという意味で、安全地帯での問題にすぎない。余裕がある地域の人たちが考える課題、いかにすれば私たちはより公正で、あるいはより効率的で、あるいはより心に豊かさを持つことができて、あるいはより持続可能な生活を送ることができるか、という課題だと言える。存続は既に保障されていて、最適化が問題となる。それは多くの場合個人としての充実感のためであり、時には社会に対する希望のためでもある。

 

個人としての充実感のある生活を目指す場合、ある人は人とのつながりを大事にし、仮に会社が倒産しても社会資本をセーフティーネットとしてやり直していけるだろう。またある人は貴重な業務技術あるいは業務とは無関係な技術を磨きながら傭兵のようにどこでも働けることを目指すだろう。あるいはそのような常に維持や変化を迫られる世界にウンザリして、資本を蓄積して若くして束縛のない生活を選ぶ人もいるだろう。個人が語るストーリーはますます物語の様相を帯びる。あなたは生涯いくつの職業に就くだろうか?エンジニアから管理職になったあなたはアイデンティティをどう確保し続けられるだろうか?証券会社からWebサービスに転職したあなたは自分を何だと説明するか?売却をし富を得たあなたは、自分が社会のどこにも必須でなくなった感覚をどう位置づけるだろうか?あなたは、いくつものPoint of No Return(もう以前の状態には戻れなくなる時点)を経てストーリーがクライマックスを迎えたとき、どういう人でありたいだろうか?

 

この時代に最も必要なものは、良い物語(という名の統計モデルーー権威が崩壊するほどノイズが高い時代に、人の行動の分散を全て説明することはできない)である。多くの人の頭に残り、原動力と意志の力を与え、自己同一性と一貫性を保たせ、最適化が進むという意味で正しい北極星を指し示す良い物語である。そのような物語をどう構築し、どう共有していくか?は現代の一般的な教育制度で教えられているものではなく、少数のリーダーが「著者」となって作っていくことになるだろう。私たちはどんな未来を描けるだろうか?