蛍光ペンの交差点

"科学と技術に支えられ、夢を語る人になる"

使わない言葉を決める大切さ

実現させたい未来があるときに使うと害になる論法や表現法がある。そのうち最も耳にすることが多いのは、「Aがいいことは当たり前なのに、なぜそんな簡単なことも分からないんだ?」である。組体操がなぜ廃止されないのか、なぜ増税か、なぜ霞が関で働くのか、なぜワクチンを打たないのか、などが最近見る話題だと思われる。

 

この疑問文は、相手が依拠している思考の筋道(あるいは優先順位)に対する無知を正当化している。実際には、他の選択肢の利点を見逃している可能性や、選択肢Aの欠点を過小評価している可能性もある。

 

対策は多数考えられる。

  1. 「この人達を説得するには何を伝えればよいだろう?」:選択肢Aが正しいことは前提とした上で、相手にその正しさをどう気づかせるかをデザインする。
  2. 彼らが反対していることは放っておいた上で、選択肢Aを実行する。選択肢Aが無断で実行されたことに憤慨しうるケースでは悪手だが、一回試せば気に入るタイプのものでは有効である。
  3. 法律や権威、何らかのインセンティブなどで合意を取り付ける。ケースによっては単にゴネるだけで効くこともある。
  4. 彼らの手元では彼らが望んだ選択肢を実行させた上で、その影響範囲から自分を取り除く。こうすると被害を受けるのは彼らのみになるため、認知的不協和を起こして害を最小限に留めるか、あるいは選択肢Aに収斂する。
  5. 「彼らの選択肢のほうが実は正しいのではないだろうか?」:選択肢Aが正しいことを再点検するため、相手の言い分を聞く。

 

どの対策法を実行するにせよ、大事なことは、相手の意思決定の筋道が分からないとき、巷でよく見るからと言って前述の感情爆発文に落ち着くことは得策ではない、ということだ。異なる思考過程を辿る人々で構成されているのが社会であり、そこを理解する方針を放棄するのは厳しい。

 

よく見る理由は、それが解決に至らないからずっと残るからであり、実際の解決策はとても多岐で、出会う頻度が分散されているからだ。多数の人が使う言葉や表現の中で、何を使わないことに決めるかは、現実の展開にとても大きな影響を及ぼす。