蛍光ペンの交差点[別館]

"科学と技術に支えられ、夢を語る人になる"

驚きと願いくらい、自分のものにさせてくれ

何十年と生きていく中で次第に変動が収まっていく類のものがある。

 

一つは信念である。私はOSINTが働くと信じているし、それを実践しながら生きたいと思っている。日々過ぎ去っていく些細な通過物として曖昧に認知しているもの同士の中には、ときに感動と興奮が収まらなくなるような関係性の煌めきがある。そのような奇跡を追いかける人生でありたいと切に願う。たとえ論文にならず、金銭に結びつかず、評判にならず、多くの人にとって自明であり、そればかりか最初の認知は誤っていたとしても、自分の驚きに対してぐらい正直でありたいと思う。私にとって驚きは、多くの人にとっての涙や歓喜かそれ以上に、自分と、自分の人生と、なによりも自分の人間性を規定し続けている大切な感情で、これはどうやっても譲れない。

 

世の中には、公開する情報を制限することで利益が得られる類のものがある。粉飾決算縁故採用を持ち出さなくても、ある組織には同時に数人だけが映画を見られる制度があった。あまり知られていないからこそ成り立っていた。名の知れた企業の社員と一対一で模擬面接を行える抽選の制度もあった。道端で配られる製品はどれも先着だろう。そういう類の利益は、個人的にどうしても好きになれないのだ。小さい頃から、無料で手に入る素晴らしいものをできるだけ多くの人に共有することが、自己にとってこの上ない幸福に思えた。

 

自分の、おそらくはやりたいことの10分の1もできないであろう残り限られたこの生涯に、そんな一時的で影響限定的な政治と経済に、自分の認知資源の一欠片も使わせたくはない。やりたいこととやるべきことは違う、それは正しい。でも私は、たとえグローバル資本主義が真実だとしても、世界の構造の網目に絡め取らないよう問題解決を続けられる程度には鍛えられた(と思われる)ささやかな自分の力を信じたいのだ。例えうまく行かなかったとしても、自分は納得していられるだろう。私は普段リスクを取らない。だけれども不安定な遠くに行くリスクは、自己の人間性を規定する願いと驚きを信じるという安定化の効用に劣るのだ。

 

物語は、文系が作る最強の統計モデルである。私はこのOSINTというモデルを信じる。開かれた世界で繋がれた異質なもの同士が、未来の方向を変えてしまうような場面を度々目撃したい。大人になった僕がそれでもまだ夢を持っている。若き日のフィル・ナイトが早朝のオレゴンで見た景色と、同じものを僕も見たい。彼が競技の開始音が鳴らされたあとの一瞬に人生を見出したように、僕は計算機とデータが世界をつなぐその果てのない行為のなかに、かつて歴史の中のどの世代も成し得なかったような世界規模の奇跡が生まれると人間性を賭けて信じている。それは僕の信念であり、僕が選んだ物語である。

 

僕はたまに、反応が演劇のように過剰だと言われることがある。だが実際のところ普通に反応しているだけなのだ。僕にとって世界における反応とは、いくつかの理想的な型があり、それをなぞることなのだ。その型を外れると途端に不機嫌になり、色んなことの精度が落ちる。誰かに何かを共有したいとき、それは別に聞きたくないと言われると、大変悲しくなる。逸脱を赦すことが昔から苦手である。

 

地平線はおぼろげかもしれない。行程に終わりは見えず、疲れて休むこともあるかもしれない。休んで語らう友人は、話を聞いてくれないかもしれない。だから驚きと願いくらい、自分のものにさせてくれ。何もかもが不安定な世界で、僕は出発点をそこに決めた。