僕の部屋の窓からは
僕の部屋の窓からは、誰もいないオフィスビルが見える。
どのフロアも配線がむき出しで、間仕切りのパネルや工具が雑然と積み上げられている。初めてこのがらんどうのフロアを見たとき、変化の激しい街だから、そのうち会社が入居するだろうと思って、たまに眺めていた。
予想は裏切られた。2年ものあいだ、オフィスビルは何も変わらなかった。パネルは未だに積み上げられたままで、昼間でも人の姿を見ない。なんてこった。進展を示すしるしは見当たらず、ほとんど何も変わっていない。これだけ人がスペースを争う地域において、こんなにも手のつけられていない大きな場所が残っていることはとても不思議に思えた。コロナの影響なのかもしれないし、傍観者には分からないもっと深い理由があるのかもしれない。一見すると不可解な流れが世界に存在することを、この窓は教えているように思えた。
もう少し慎重に考えるべきだったのかもしれない。
そう感じていた時期もあった。自分を責める慣れた道を行きそうになった日もあった。
一方で、事実と感覚を若い時よりもうまく組み合わせられるようになったこともあり、そうしない日も増えた。恐怖や多忙が選択肢を覆い隠していた時期からしたら想像も付かないが、最善のタイミングだったのかもしれない、と思うことが増えた。
僕はいつも他の人より気づくことが遅い。
でも、これからは早くなるときもあるかもしれない。
「良い機会に繋がったということは、つまりそれはgiftなんですよ」、と友人が言っていた。そうなのだろう。自分にとって認識の変化は、今後の鍵になるのだ。
世間一般の経済合理性の圧力だけでは、オフィスビルは変わらなかった。大きな価値を生んだであろうビルが2年遊ばされていたことが、本当に無駄だったのかは、今はまだ誰にも分からない。
僕の部屋の窓からは、誰もいないオフィスビルが見えた。