蛍光ペンの交差点

"科学と技術に支えられ、夢を語る人になる"

水を飲む

深夜、水を飲みに台所へ向かった。

 

二階の寝室のドアを抜けて廊下に出ると、明かりが漏れていることに気がついた。
起きていることが廊下から分かるということだ。深夜一時に起きている不養生を恥じた。

リビングに続く階段を降りながら、一段ずつ数えてみた。いち、にい、さん…15ほど数えたところで階段は終わり、床になった。最後が15だったのか、16だったのか、はっきりしない。いつも使っているはずの階段なのに、ずいぶん長かった気もするし、その割には最中の印象は1枚の静止画ほどしか残っていない。

台所まで歩き、水が入ったボトルを手にとった。どうせ明日起きたらまた使うからと、マグカップではなくプロテインシェーカーを選んだ。
大した乾きではなかったので、大きなシェーカーに3分の1ほど水を注いだ。そして虚空に右手を掲げ、一人で乾杯をした。それは、僕がただの水を祝えることに気付くために必要な、とても大切な乾杯だった。

水を一口飲み、いい味だと思った。もう一口、今度はグイッと大きく行った。口の中に持て余された水の存在を感じると共に、右手に持ったシェーカーがやけに軽くなった。飲みすぎたかもしれない。あと一口しかない。もう少し味わえばよかった。

 

それでも、注ぎ直すことはしなかった。代わりに、最後の一口を飲む前に大きく時間を取って、それが何か大切なものの最後であるかのように意識を向けて飲んだ。

 

なんの変哲もない一連の出来事の中で、僕はとかく多様な感情を味わった。
欲を持ち、恥を覚え、策を立て、晩酌を祝い、快楽と、飽和と、後悔と、終焉を味わった。

 

これが僕の原体験の一つになるんだ、と感じた。そこには素材以上のマジックがあって、僕はそれで十分すぎるほどに満足した。水からこんなにも喜びが引き出されて良いのか、規制されないか心配になってしまうほどに。

ふと、この前会った人のことを思い出した。裕福な家庭に生まれ、才能に恵まれ、一流の大学と会社に進み、健全な精神と幸せな家庭を築いた人に、僕はなぜ魅力を感じられなかったのか。そこにはマジックがなかった。あるいは、「まだ」マジックが見つけられなかった。水のように彼を理解するには、まだ何重にも試行錯誤が必要だろう。
軍事大国が作った整然とした航空母艦よりも、E.T.が作った間に合せの自転車で想像力の空を飛びたい。そこには、それなしでは生涯を送りたくないと思わせるほど、心を惹きつける要素が存在する。

水がそれぐらいのなにかに思えたこの夜のことを、ずっと覚えておこう。何があったわけでもないけれど、そんな夜が僕を作ったのであり、僕はそれから何か驚くようなものを作れると思う。