蛍光ペンの交差点

"科学と技術に支えられ、夢を語る人になる"

幸福の定量化:人生、仕事、コミュニティ

知人が「恋愛における好みのパートナー」について、以下の2点を挙げた。

  • 自分が好きになれる程度に見た目が整っていること
  • その他、自分が気にかける多数の変数(一緒にいて落ち着く、話が合う、前向きである、共通の友人が多い etc)の総合点が高いこと

 

この「好み」の形式化が興味深いのは、一点目と二点目の性質がまるで異なることだ。

 

1点目は完全なイチゼロの判断であり、その知人にとって構わない程度に整った姿であれば、群を抜いた体型や容姿であることは、さほど知人の選好に貢献しない。言い換えれば、基準値を超えたあとは、価値の逓減が激しい。シグモイド関数のような形で価値が増えると考えられる。

 

一方で、2点目はほぼ線形な価値の増加である。落ち着くような口調、癖、声、考え方など、様々なものxがあればあるほど知人の好みにはより当てはまる。y=xの直線のような形で価値yが増えると考えられる。

 

私は、この考え方の先に、かなり多くの人に当てはまる「幸福」の定量化があるように感じた。それは以下のような定式化である。

 

  • 必須条件(カットオフ):これを超えていなければ、他に多くの素敵なものに溢れていたとしても、幸せだと感じられないような条件。逆に言えば、これさえ満たされていれば、他の要件がさほど良くなくても、幸せだと満足できるような条件。
  • 希望条件(バリュアブル):必須条件が全て満たされている状態において、あればあるほど幸せが増すような条件。

  

個々人が幸せになりたいのであれば、まずはその人にとっての「必須条件(カットオフ)」の一覧は何なのか(What do you want out of your life?)、正確に理解するのが近道であるように思う。例えば自分の人生を考えてみたときに、以下のようなカットオフが思い浮かぶ。

 

  • 睡眠を削らなくてすむぐらいのペースで生活していること:食事と運動は、自分にとっては希望条件の方に入る。友人は食事、あるいは運動が必須条件の人が多い。また衝撃的だったのだが、睡眠が必須条件に入らない友人も居る。睡眠不足で自分が幸せを感じられることはまずない。なので旅行中も気にせず睡眠を取るので、睡眠時間を削ってでも回りたい友人とは対立をする。
  • 一週間に6−8時間ほど、何もせずに好きに過ごせる時間があること:自分は、常にやることがあると嬉しいタイプの人間ではない。むしろ隙だらけの毎日の中で、何十時間か集中して打ち込む活動があることを喜ぶタイプの人間である。激務も嬉しくないし、人間の体力の限界を価値生産の速度の限界とするようなプロセスは、根本的に非効率的である、少なくとも自分はその中で一生を過ごしたくはない(自分はそんな人生に納得はできない)、と思うタイプの人間だ。
  • 日常的に話す相手がいること:これは意外だったのだが、二十年強生きてきて、どうもそうらしい。同居人がいると明らかに毎日のパフォーマンスや落ち着きが上がる。同居人は家族でも、恋人でも、ルームメイトでも、何なら猫や犬でもいいが、比較的アクティブで、よく喋り、自分とは考え方が多少違った人のほうが良い。
  • 仕事で、何らかのスキルを獲得して成長していると感じられること:仕事において成長を求める人は全員ではない、ということを知ったのは驚きだった。一部の人たちにとって仕事はあくまで糧を得る手段であり、成長自体を目的にする人は部分集合でしかない。だが自分は恐らく、成長できないのであれば仕事をしたくないと思うタイプの人間であるように思う。仕事を生計の手段というよりは訓練として見ている面が強く、これだけ時間を吸い取られて活動するならばそのリターンとして個人の殻を打ち破ることが必須のはずだ、という前提のようなものがある。

 

みなさんの必須条件はどのようなものだろうか。自分が今まで見てきた人たちだと、

  • 自分が主導権を取れる(旅行、イベント、経営、人間関係)
  • 裏表なく正直に話せる(外交的に関わる必要がない)
  • 創作のエネルギーを日々摂取できる(映画や小説を毎日のように摂取する)

などがあった。

 

仕事が必須条件に入っている人と、希望条件に入っている人とではまるで幸福の基準が異なる。だがこれまで、コミュニティ(コミュニティにおける各自の役割)が必須条件に入っていない人は見たことがない…気がする。