蛍光ペンの交差点

"科学と技術に支えられ、夢を語る人になる"

苗を植え続け、踏みつけない

「そんなことも知らないの?」とは、特に自分の専門分野や社会的に常識とされることについて問われた際、つい使ってしまいたくなる言葉だ。実際、危機感を煽ったり、火をつける目的では有効に働くこともあるのだろう。しかし、このような印象を与えたくがないために、実は不慣れな用語についてうんうん、知ってるよと通り過ぎてしまった場合がもたらす損害の規模を考えたときに、実はこの文句が差別用語として禁止された社会のほうが全体最適である、という結論は導けないだろうかと思ったりする。

 

もっと場面を限定して強調しよう。たとえば2年間ずっと一緒に仕事をしたけれど実は「EPSってなに?」と分かっていなかったり、「(Linuxにおける)プロセスってなに?」と思っていたりして、同僚に聞けないということはないだろうか。この理解不足が業務上の非効率を生むことは言を俟たない。

 

人は多くのことを大して理解していない。たいていの場合では実はそれで良かったりする。交わされる情報をあまりにも正確に理解しようとするのは、中学生が一日にあったことを全て日記に書きつけようとして書ききれなくなってしまうようなもので、実用的ではない。

 

ただ、だからといって、恥をかきたくないがために理解を正せる機会を減らしたり、理解することを最初から放棄してしまうのは間違っている。

 

年功序列社会や顧客社員の関係での人付き合いが多くなるにつれ、そしてある程度社会的肩書が高まるにつれ、自分のミスを指摘してくれる人が少なくなってきた。これは実は大変危険なことであるように思う。僕が60、70歳になったとき、果たして僕はどれくらい技術のことを理解できているだろうか。シニアエンジニアになれば、ますます言い出しづらくなる空気が増えるだろう。

 

一つ心がけできることがあるとすれば、言葉を選ぶことだろう。それは教える際に冒頭の「そんなことも知らないの?」を禁ずるということもあるし、人に聞く際に、自分の理解が正しいかを確認しなかったり「〜ということね」と理解が正しいと前提して次に進むのではなく、「〜と理解したのだけれど、それで合ってるかな?」「〜ということ?」と修正の機会を設け、修正し切れなければ構築しかけた知識を捨てる勇気を持つということだろう。