一読すべき企業分析がここにある:『進め!!ブラック企業探偵団』書評
この本は、就活本として異色である。
だが就活生に限らず、既に働いている社会人にとっても読む価値があると思う。
それは、この本で取り上げられている4つの業界、すなわち、外食・メディア・製造業・金融業界に所属する企業群の分析水準が、ケタ違いに高いからである。
それぞれの業界の性質を、どう考えても一人の学生では決して辿りつけないであろうレベルの深さまで分析している。ごく平均的な就活生やビジネスマンを想定した場合、いやそれどころか、相当に企業を研究したプロ就活生や、かなり優秀なビジネスマンであっても、この水準のレベルの理解を、これだけバラバラの業界4つに対して持っていることは考えにくい。メディアを受けるようなキラキラ学生は外食を受けないし、製造業に興味を持つような理系学生は金融やメディアをそこまで理解しない。
「外食の勝ち組」や「横浜DeNAベイスターズ」、「BtoB」や「ゴールドマン・サックス」をこの水準で語れる人はめったに居ない。というか私は出会ったことがない。
どういうことだ?
著者・大熊将八は身長がやたら高いだけのただの大学生ではないのか?
経済学部生といえど、なぜここまで質の高い分析が可能なのか?
私にはこの本が、まるで認識のサラダボウルであるように思えた。どう考えても一人の人間の経験ではこれは書けない。いったいどういう仕掛けによって、このような質の高い分析が成立しているのか。
その理由の片鱗が見えたのは、著者のインタビューを読んでいたときだった。
ーーNewsPicksで連載してみて、良かったことは何ですか?
大熊:コメントを頂き、そのフィードバックから改善ができることですね。書籍作りのフローに、テストマーケティングのフェーズを入れることができるんです。まさに、クラウドファンディングに近いやり方です。例えば外食産業について書くと実際に外食産業で働いている人からコメントを貰えたり、どういう層が反応するのかがわかったり、そのフィードバックをもとに原稿の書き直しができると。これが外食、メディア、電機、銀行の各業界の人が間違っているところを指摘してくれたり、裏話を教えてくれたり、すごくありがたかっったです。
ーーでは、書籍化にあたって、かなり書き直しもされたんですね。
大熊:ほとんど全部直しましたね。
( 東大・京大の書籍部で1位! 現役東大生が、書籍『進め‼︎東大ブラック企業探偵団』に込めた思い | co-media [コメディア] 2016年3月4日閲覧)
ネット連載を本にまとめている。
そう、この本はそもそも「初版からして第2版」なのである。
NewsPicksというネットメディアで一度テスト飛行をする。そのとき、企業の内情にアクセスが難しい学生ならではの表記ミスや理解不足に対して、NewsPicksの読者である業界人からの「あのときはこうじゃった…あのときもこうじゃった」的な情報が飛び交う。書籍の著者はふつう編集者に校閲を頼むことが多いが、こうして間接的に業界人から情報内容に関する修正が届く。
NewsPicksは極めて特異なメディアで、コメントの投稿者が自分の職業を肩書として載せていることが多い。そのため、本当にその業界に詳しい人か実に簡単に判別することができる。良いコメントにはLikeが付き承認欲求が満たされるため、コメントの投稿者は他の「非・業界人」にはできないような発言をするインセンティブが揃っている。
つまりこの本は、学生が公開情報に基いて書いているにも関わらず、独自の成立過程によって企業の内実をつぶさに・かつ正確に知ることができる貴重な書籍なのである。
(ちなみにNewsPicksの連載は有料会員のみしか見られないため、投稿者の出自も保証されている。当時の投稿は現在はもう閲覧できない)
そして、ここからは私の勝手な推測である。
同書の第2章ではテレビやネットなどのメディア業界を扱うのだが、その中で「テレビドラマが映画よりも優れている点」の1つとして、毎週放送するという連載の形式を取れるために、視聴者の反応を見ながら後半の話の展開や話数を調整できるという点が挙げられている。またテレビ業界が未だに利益を出すために用いている手法としてDVDによる放映内容のリパッケージングが挙げられている。
もうお分かりだろう。
これらの手法は、NewsPicksというコメント可能なメディアで連載して、修正後に書籍というまとまった形で提供するという、この本の成立過程そのままなのだ。
言い換えれば、この本は、企業分析の知見に基いて製作プロセスのベストプラクティスを採用した点においても異色なのだ。本に書いてあることが、その本自体の製作に活かされている。ここまで知識獲得と実践が融合しているケースは珍しい。著者自身が分析内容を実践しているわけである。
加えて、巻末のプロフィールにも言及があるが、著者は米国メディア取材を題材としたクラウドファンディングの対価として、寄付者に対する個人的な関係構築を積極的に行なっているようだ。これも私の邪推だが、その過程でメディア系の業界人に対してコネクションを作ったのではないか。
一読しただけでこれだけ精密な戦略が張り巡らされているということは、私がまだ気づいていないような仕掛けもおそらくたくさん存在するのだろう。そのような結果として、極めて特異な水準の分析を行なっている本書があるのだと思われる。
そして以上の観点から見ると、著者は興味深い発言をTwitter上に残している。
就活についてアドバイスを求められたときに僕が言えることは3つに整理できるなと思った。その3つとは
— 大熊将八@東大京大でベストセラー (@Showyeahok) 2016年3月7日
①公開情報に基づいて企業分析すべきということ
②自己分析とは自己肯定だと気づくべきということ
③コネを作るのが全てだということ
このツイートで述べられている「公開情報」が示している対象に注意したい。
ふつうに「公開情報」と聞くと、ネットで少し調べれば出てくるような情報のことを一般的には想像するが、著者にとっては業界人からの裏話的な反応も、企業分析を更に推し進める上での「公開情報」に含まれるということだろう。
このような発想で「公開されている情報」を考えることは、少なくとも就活生にとっては糧となるだろう。この『東大ブラック企業探偵団』は、日本における企業の勝ち組・負け組を考える上での材料の一つに過ぎない。
就活が近い後輩にこの本を薦めているが、本書を読み通したとき、その子が日々の就活説明会やOB訪問、そしてコネと呼ばれるものの可能性について、どのように認識を変えるかが気になるところである。
(ちなみに余談だが、Amazonのレビューだと「表紙の女の子(マオ)はかわいいが、狙いすぎてて社会人としては引く」と言った発言が見られたが、私は最近たまたま関わっているプロジェクトのチームメンバーに、このマオに実に似ている女子学生が居たため、まるで彼女が喋っているような奇妙な感覚を受けながら読んだ。あまりに気になったため著者に問い合わせたが、そもそもその子と面識はなく無関係らしい)