蛍光ペンの交差点

"科学と技術に支えられ、夢を語る人になる"

分子より幸せな人生を歩むこと

 

「人間は人間同士、それこそ君のいう「人間分子の関係、あみ目の法則」で、びっしりとつながり、おたがいに切っても切れない関係をもっていながら、しかも大部分がおたがいにあかの他人だということだ。そして、このあみの目の中で得な位置にいる人と、損な位置にいる人との区別があるということだ。 これは気がついて考えてみると、たしかにへんなことにちがいない。へんなことにちがいないけれど、コペル君、これが争えない今日の真実なのだよ。君が「人間分子」といったように、人間と人間との関係の中には、まだ物質のつながりのような関係が残っていて、ほんとうにすみずみまでは、人間らしいあいだがらになっていないのだ。 お金をめぐっての争い、商売の争いは一日も絶えないし、国と国のあいだでさえ、利害が衝突すれば武力によって争う。──こういうことがまだなくなっていないのだ。「それはまちがっている。」と、君はいうにちがいない。そうだ、たしかにまちがっている。だが、それならば、ほんとうに人間らしい関係とは、どんな関係だろう。コペル君、ひとつよく考えてみたまえ」

吉野源三郎君たちはどう生きるか』より)

 

70億人を救いたいと本気で思っていた。

 

叶わぬ夢だと気がついて諦めるまで、20年と数年かかった。
人生の4分の1かそれ以上は、もう書かれてしまっていた。

 

キャリアの岐路において最重要の論点の1つであり、道を選んでからも、ずっとそのことを考え続け、少しずつ心は折れていった。一日一日の過ごし方は雑になり、生き急ぎ、日常の機微を楽しめない日々が続いた。

 

「こんなちっぽけな一つに拘泥していたら、70億なんていつの話になる?」という態度だ。

 

そんなある日、「数はあなたにとって本当に重要なマターなのか」と知人に問われた。

 

『サピエンス全史』がこれに続いた。農耕革命によって人類は、数は増えたものの不幸になったらしい。狩猟採集時代に比べて栄養素の多様性が狭まり、飢饉などによって全滅する危険性が増えたと。70億人をアプリだの何だの、何らかの均一な解決策で一様に救ったとして、それは農耕革命など、他の支配的な不幸を上回るほどの救いなのか?多様性のない救いで、人々は救われるのか?

 

救えるかどうか以上に「どのように救えるのか」は重要だ。
探索は2年ほど続いた。良い救い方は見つからなかった。

 

 

 

そのうちに、身の回りの大切な人たちが苦しんでいることに、気づくようになった。

 

 

 

何かを意識的にしたというよりも、深く呼吸をしてあたりを見回した。
それは、かつて「ちっぽけな一つ」として見過ごしていた、
大切な人たちが苦しんでいる、あまりにも重要な光景だった。

 

70億人の中で見たら比較的恵まれた人たちですら、幸せではないことがある。

 

取り返しの付かない不幸がある。亡くなった人は生き返らない。病気のほとんどは治療法がない。不運は急に生き物の命を奪ったり、不可逆なトラウマの記憶を負わせたりする。

 

人類はカロリー基準で見れば飢餓を克服したらしい。単一の栄養価における達成が文明の根源的な目的である「長期的に健康的な生活」を保証しないように、地位や金銭といった乾いた達成も、当人の「彩り豊かな幸せ」を保証しない。たしかに地位や金銭は、当座の生存を克服した。だが多様な幸せとその発見に満ちた生活を送れる人々で構成される社会こそ、先進と呼ぶにふさわしいのではないか。足を緩め、路傍に咲く花を眺める喜びはあるか。落ち葉を踏んで、一度きりの音の響きに心を向ける隙間はあるか。現状と目的を最短で結んだ直線の上に位置しない、言葉で形容することも難しい人生の体験を、受け止め、咀嚼し、打ち返す用意はあるか。単線的で効率的な社会は確かにその存在意義はあるだろう。しかしそれは私達の全てではない。自分のボイスを捨ててはならない

 

逆説的に、世界的に使われるプロダクトの無視できないほど多くが、小さく始めるらしい。
20億人以上が使うSNSアプリは当初、一つの大学の大学生を繋げる目的で作られた。
いま何でも売っているAmazonは、最初は本だけを売っていた。
イーベイはコレクター市場で成功を収めて拡大した。

 

高い地位を占める人たちでもなく、山ほどのお金を持つ人たちでもなく、
世界の片隅に暮らす極々普通の人たちが謳歌できる、
スケーラブルで多様な幸せとはどのようなものだろうか。

 

明日不治の病を告知されてもその芯が揺るがず、
消すことのできないトラウマを抱えていても享受でき、
目的すら運に翻弄され達成できなくとも変わることのない、
フォルトトレラントな救いとはどのようなものだろうか。

 

自分で考えて行動することを好み、
各自の宿題を解くことを願った恩師は、冒頭の引用を好いた。

いま自分は、その引用文に立ち返ろう。
この記事は、現段階での自分の考えの記録である。

 

自分にとって、周りの人と「ほんとうに人間らしい関係」を築くことは、
かつてJFKNASAの掃除員が「人類を月に送る手伝いをしている」と答えたのと、
同様のことに思える。

 

それは、社会の構成員が、「各自の認識と行動」という投票によって、
自分たちを分子で終わらせたいのか、それ以上の「共通の信念を持った何か」にしたいのか選ぶということだ。

 

私達は、丸めた紙を廃棄するようには、死んだその亡骸をゴミ箱に捨てられたくはない。
同様に私達は、1度しかないとされるこの人生が、分子より不幸なものであっていいとは全く思わない。私達の知性と思考力は、それに抗うためにある。

 

不治も、不可逆も、持たざることも、全て引き受けて、

それでも「あみ目」として、分子より幸せな人生を歩むこと。

 

進路を今、そこへ向ける。