蛍光ペンの交差点

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『喧嘩稼業』感想:「稼業的」な、あるいは100%全力の問題解決に関して

マンガ『喧嘩』シリーズは、「稼業的」な、つまり、
100%全力による問題解決について考えさせられる作品だ。

 

同作は、問題解決における戦略性と網羅性について考えさせる。戦略性(effectiveness of game plan)とは、一つの解法が他の解法よりも1000倍効率的でありえること("Amazon's Business Is Better Than Baseball, You Can Score 1,000 Runs With One Swing")、網羅性(comprehensiveness)とは例外や失敗をなくすための周到な実行というぐらいの意味である。どちらも私の個人的な分類である。何を言っているのか伝えるために、記事の末尾に付録資料としてまとめたので興味があれば眺めてみてほしい。

 

同シリーズは、「最強の格闘技は何か?」という問いのもとに開催された、16人の強豪たちによる異種格闘技トーナメント戦と、そこに至る人間ドラマを描いた作品である。

 

その問いだけなら格闘マンガではありがちだ。

しかし『喧嘩』シリーズにおいて特異なのは、その問いにおける前提である。

 

最強の格闘技は何か!?

多種ある格闘技が

ルール無しで戦った時…

スポーツではなく…

目突き 金的ありの

「喧嘩」で戦った時

最強の格闘技は何か?

(『喧嘩稼業』1巻の冒頭より引用)

 

トーナメントの主催者による上記の問いかけ自体がすでに「何でもあり感」を暗示しているが、登場人物が作中で実際に行うあの手この手の策略は、一般人がこの問いかけを見た時に想像する「何でもあり」から更に数段階進んでいる。

 

例えば、食事に下剤を混入する。偽の必殺技を見せる。戦闘でアバラが折れている相手を襲撃し、格闘家として再起不能にさせる。反則条件を誤って伝え、負けを誘発する。対戦相手の参加者の兄弟仲が悪いと知れば、トーナメント外での兄弟喧嘩を計画し不戦勝を狙う。相手が五体満足で勝たなければならないと知れば、刀に塗った毒の存在を告げるなど、スポーツマンシップが存在しない無法な世界が描かれる。

 

このマンガの多くの登場人物は「喧嘩が強い」(何をしてもいいから勝ったと宣言される側になる)ことにプライドを持っており、それは言ってみれば正確に条件を揃えたときのベンチプレスの挙上重量を競っているわけではない。そもそも主人公を含む多くの出場者は復讐などのためにトーナメントに出場している特定の選手と戦えればそれで満足なので、スポーツ的な意味で最強を証明することにはさほど興味がない。

 

『喧嘩稼業』には、以下の様な批判が考えられるだろう。 実際には喧嘩をしない漫画家という職業人が書き上げた作品であり、そこで語られる戦術が実際に活きることはない(作中で使われるいくつかの技は現実には通用しないそうだ)。読者の予想を裏切る展開が好まれており、地味な勝ちパターンではない、格闘マンガの常識を覆すような新たな攻防による勝利が強調されがちだ。その意味で同作は現実の戦闘を描いたものではない。

 

普段格闘マンガを読まないし喧嘩もしない私にとっては、実際の戦闘で使えるかはどうでもよい。私が興味を惹かれたのは、同作の中で一貫して描かれる、主人公たちの折れないマインドセットと、批判的思考能力、すなわち「実戦」で使えそうな要素である。

 

 

倒れないとか
倒しても倒しても立ってくるとか
不死身だとか
俺はそういう相手と戦う事をもっとも得意としている

(喧嘩稼業3巻より、佐藤十兵衛の発言)

 

ーーで?
死線を越える戦いをしたら何を得てどう強くなれるんだ?
それは死線を越えて戦わなければ得る事の出来ない代用の利かないものなのか?

見えないし確認もできないものを信じてどうする
最強ボクサーという看板を持ったヤツを
相手にしようとしているのに
お前は看板にビビるのか?

死線を越えて強くなる酷く曖昧な強さを求めるより
富田流は具体的な強さを追求する

(喧嘩稼業9巻より、入江文学の発言)

 

これでほぼ100%倒せるが
注意はほぼだって事だ 
実際に俺は
自ら耳を引きちぎって

防いだヤツを知っている

(喧嘩稼業3巻より、入江文学の発言)

 

 対戦前、あるいは対戦中の十兵衛と文学が行う想定の深さは尋常ではない。格上の相手と戦う際に、初手を25種類想定することで経験の差を埋める。対戦相手の戦闘における癖だけでなく、家族構成や感情のトリガーなども含めて分析し、心理戦に持ち込む。相手の特殊な必殺技を捕捉したら、諦めるのではなく、その回避策をすぐに3−4通り検討する。100%必殺に思われる技についても、「仮に相手が耳を捨てたらどうなるか」などといったレアなケースまで想定して、本当の100%に近づける。

 

このような終わりのない検討や読みの連鎖こそが、『喧嘩』シリーズの面白みに繋がっている。どのような戦闘においても、十兵衛は様々な事前準備と、試合中に手に入った新情報から柔軟に対応していく。勝ち目がないと思われた相手に対して、少しずつ突破口が見つかり、最終的に勝利するその流れには何とも言い難い魅力がある。休載が続いてもファンがなくならないのも納得だ。

今後は、このような問題解決を「稼業的」な問題解決と呼ぶことにしよう。「最強の格闘技とは何か?」のような外部の権威から与えられた抽象的な枠組みに拘泥せず、「あいつと戦いたい」のような一番達成したい目的に関して有効な策を洗いざらい考え尽くし、リアルタイムの変化に対応しながら思考を進めていくスタイルの態度である。その言葉には、同作における真剣な命のやりとりにも近い、妥協のない姿勢といったニュアンスが含まれている。

 

付録資料

問題解決に対する私の枠組みは、主に『問題解決大全』や『ゼロトゥワン』で書かれた枠組み、またアナリストやプロジェクトマネージャーの話した実務哲学に支えられている。

 

喧嘩商売』とその続編『喧嘩稼業』というマンガがその参考資料の中に加わった。

そのことによる変化はかなり大きかったので、以下に備忘のため全体像を書きつける。

 

現実での多くの問題解決において、私は8つの性質が重要だと思っている。

 

問題の存在に関わるもの

  • 連鎖性(event chainability)問題は解くと消えるのではなく変わる。また、他の問題の性質も変える。
  • 虚構性(fictionality):問題ではないとする信念が確立すると問題は消える。
  • 適時性(timeliness):解ける瞬間は限定されているし、いつ問題が来るかは分からない。一度逃すともう解けないものもある。
  • べき乗の経験則(exponential law):ある問題は、他のあらゆる類似問題の合計よりも解く価値が高く、コストは合計よりも少ない。

問題の解決に関わるもの

  • 戦略性(effectiveness of game plan):解き方により効率は千倍ほども異なる。
  • 不確実性(uncertainty):用意の多寡に限らず、解決を阻む障害は途中で姿を表す。
  • 網羅性(consistency):解けたかは時に、例外や失敗を少なく実行できたかで決まる。
  • 局所性(do one thing and do it well):一つに集中した方が薄く広くよりも報われる。

 

これらの性質が重要なのは、互いにトレードオフの関係になっていたり、あるいは複数合わさると妥当な行動指針を導き出したり、素朴な対応の欠陥を浮かび上がらせたりして、より優れた問題解決を助けるからである。

トレードオフの関係

  • 「適時性」と「戦略性」はトレードオフになっている。すぐに解かないと手遅れになりうる一方で、時間をかけて考えたら、あるいは有識者に相談したら効率的に解く方法が見つかるかもしれない。
  • 「べき乗の経験則」と「網羅性」はトレードオフになっている。いくつかの主要な問題を片付ければとりあえず他のことに移っていい、なぜなら次の問題も指数的に見たら圧倒的に重要だからという解き方がある一方で、ある指標で見た時に99.9%の成功まで達成していなければ再発の危険性を含むケースもある。
  • etc

妥当な行動指針

  • 「連鎖性」と「適時性」と「べき乗の経験則」を踏まえると、「いつでも新しい問題が解けるぐらいの忙しさで過ごす」ことが望ましいと推察される。なぜなら、ある問題を解いたことで生じた新しい問題が、それまでに認識したどの問題よりも遥かに重要である上に、すぐに解き始めないと間に合わないという状況が起き得るからだ。
  • 「虚構性」と「連鎖性」と「戦略性」を踏まえると、「問題Xが解決したと納得できたら、他のどの問題の性質が変わって、べき乗則のランキングにおいてどんな変動が起きるだろうか?それはどれほどの効率を持っているだろうか?」と推論することが効率的でありえる。だから、問題が一つ減った未来を予想して選択するのは有効だと予想される。ちなみに、このような先読みの仕方をlevel-k reasoningと呼ぶらしい。

 

素朴な対応の欠陥

  • 「局所性」は非直感的である。なぜかといえば、素朴には、いくつも試してその中でうまく行ったやつを、という分散投資の考え方を採用したくなるからだ。しかし「連鎖性」が示唆するように複数の問題は相互に絡み合っており、一番最悪なケースでは負のフィードバックループを形成している。そのような悪循環が生じているときには、環の一点に改善を起こして循環自体を崩すのが最も有効だ。そしてそのような循環と問題が「べき乗の経験則」がなぜ観測されるかを正当化する。
  • 素朴には、目の前に問題があるとき、人は行動によって解きたくなる。だが現実には、認知でも解けることがあるし、また積極的にそうすべきだ。どうしても嫌いな何かがあるとき、『問題解決大全』で言う「100年ルール」(n年後にその問題がまだ問題であるだろうか、という問題をnを100から始めて時間スパンを見極める解決法)のような認知の変更のほうが効率面において戦略性に適うことがある。上司が嫌いなのはどうしでだろうか?退屈なミーティングは本当に、社内政治のコストを払ってでも撲滅すべきだろうか?